lifewithgreens’s blog

大学で研究・教育に携わってきて定年退職により気ままな生活をしています。もう一つのブログはhttps://ameblo.jp/yhiwatari/

メモをとる

InstagramだったかThreadsだったか、アガサ・クリスティのメモの取り方についての投稿を見ました。

彼女は仕事と生活に分けずに、全てを一つのノートにメモしていたようです。だから、グローサリーのリストの横に、小説のプロットが書いてあったりしたそうです。

 

大事なことは、それらのメモを見返すことだそうです。定期的に自分のメモを見返すことが大事だと私も常々思っているので、アガサ・クリスティのメモの扱い方に我が意を得たりと喜びました。

 

結局は、自分が書いたものを放置するのではなく、常に立ち返ってもう一度よく考えることなのではないでしょうか。

買い物リストのような生活そのものの内容と仕事のアイデアが混在しているカオスのようなノートは素晴らしいと思います。どこかに、この二つを分けなくてはいけない、と言うような考えがあるといえばある。でも、どちらも自分なのだから、同じノートに書かれていてもむしろいいのではないか。

それに一冊のノートに全て集約する必要もないかもしれないと思うようになりました。世の中には素晴らしいノートがたくさんあって、自分でも好きなノートがいくつかある。だから、いろんなノートに書き散らすことになるわけです。

でも、これも定期的に読み返すという作業をすれば、複数冊のノートを使うことのデメリットはなくなり、のびのびと書くことができます。

こうじゃなくてはいけないなんて、おかしいから、好きに自由に書けば良いと思います。

 

写真は、私がメモ用に使っているポケットサイズのMoleskineです。ページ数の少ないField NotesとかDialog Notebookはすぐに使い終わって冊数だけどんどん増えていくのが嫌で、使うのをやめているところです。

このMoleskineはバットマンシリーズですが、バットマンが何か思いついたようにデコりたくて、Moleskineに付属のシールを貼りました(笑)

私のメモ用ノート

 

雨の1日

雨が降り続けていると、それを口実に外出を控え、家の中でぼーっとできるのが嬉しいです。

Instagramは私の好きなソーシャルメディアの筆頭に挙げられます。ライフスタイルや考え方が素敵な人たちが世の中にはたくさんいて、そういうアカウントと巡り会うと嬉しくなりますよね。

昨日見つけたのは、@vivis.diarryです。詩人?作家?何かそんなようなことをしている人みたいです。彼女の投稿を見ていて、なるほどなと思ったことがあります。

"part of being a poet is having dozens of random scrap paper you frantically wrote on when something touched you"

とても良い表現ですね。特に、when something touched youっていうところなど。ものを書く人は、確かに突然出会った素晴らしい表現とか思い浮かんだ言葉とか、それをすぐに書き留めなければなりません。そういうのは覚えていられないんですよね。あとで思い出そうとしても思い出せません。

ノートを常に携帯していれば済む話でしょ、と思うかもしれませんが、ノートを取り出してページをめくるその一手間が命取りなのです。

だから、著名な作家が、レストランのナプキンにメモしたとか、カフェのメニューの裏にメモしたとか、そんな逸話が生まれるのです。

viviがそこらにある紙切れにこれぞと思った言葉やフレーズをメモして、それが散乱している様子を見ると、とても美しいなあと感じます。彼女はタイプライターを使うのですね。今どきタイプライター?と言えなくもありませんが、実はそ私がYouTubeやSubstackでフォローしている人の中にもちらほらそういう人がいます。

アナログかデジタルか、といえば、アナログなのでしょうね。ノートに書くというより、散乱したメモをもとに一気に文章に仕上げるという感じです。創造性というのは、こういうことを言うのでしょう。

 

私は詩人でも作家でもありません。ただ職業として研究や教育に携わった人間なので、形は違っても、ものを考えて書くという作業をとても大切にしたいと常々思っています。

どんなつまらないブログであれ、推しのYouTubeへのちょっとしたコメントであれ、ファンレターであれ、言葉は大切にしたい。どのような言葉を使うことが最もストレートかつ人間味ある暖かい表現になりうるか。そんなことをいつも考えています。

 

(追記)タイプライターといえば、大学一年生の時に初めてOlivettiのタイプライターを買ったことを思い出します。打ち間違いの後始末が大変でした。

 そういえば、俳優のTom Hanksはものすごい数のタイプライターのコレクションがあるの、知っていました?この間、初めて知りました。

使いかけのノート

途中まで使って、使うのをやめ、そのまま放置してあったノートというのが何冊かあります。活用方法はいろいろでしょうが、私はイタリア語学習に使っています。

 

写真はMDダイアリーノートの2023年版です。今では溺愛しているノートですが、当時は途中まで使ってやめてしまいました。ダイアリーはほぼ日など他のものを使っていたので、MDの使い道が中途半端になってしまったからです。

その後MD Productsが大好きになりすぎて、今ではダイアリーと1日1ページの分厚いCodexの二つを日々愛用しています。

ノート遍歴を続けて辿り着いたのがこのブランド。表紙を飾って、イタリア語学習用に使い始めました。覚えておきたいフレーズや単語、少し長めの文章など、いろいろ書いています。以前はRhodiaなど使っていたのですが、分厚くて使い勝手があまり良くなくてやめてしまいました。

 

そこへ行くと、MDは、シンプルな作りで、クリーム色の紙で、ある程度大きくて、ある程度ページ数があって、それでも重くない。非常に扱いやすいノートだと思います。今使っている2026年のMD diaryと区別するために、一枚絵を挟みました。

手帳はデコらない主義ですが、少しアクセントをつける工夫はやっています。推しのソプラノ歌手のしおたんと一緒に撮った写真などを中に入れたり、桃のシールを貼ったり・・

愛着が湧きますよね。

 

MD ダイアリーノート2023年版の再利用

 

空海

Instagramを見ていたら、@konghai_というアカウントを見つけました。空海を意味するらしいです。プロフィールを見てもWalking on Earthとあるだけで、どのようなバックグラウンドを持つ人なのかはよくわかりません。女性のような気がします。大自然が好きで、トレーラーで生活しているようにも見えます。

ノートに書かれたイラストはとても変わっていて、なんだかとてもシュールな感じがします。子供の落書きみたいにも見えるのですが、よく見てみると何か深い意味があるような気がしてきます。

なぜ空海を名乗るのかはよくわかりません。空海に通じる何かがあるのかもしれません。

とにかくこのアカウントを見て以来、空海が頭から離れません(笑)そういえば、東京国立博物館で空海と真言の名宝という展覧会をやっています。行ってみようかとも思うのですが、何しろ知識がなさすぎて、行ってもどれだけ得るものがあるのか・・・

空海といえば、思想だけでなく書道、土木、教育などのあらゆる分野で超人的な実績を残した人と言われています。それで思い出したのですが、しんめいPさんの『自分とかないから』という本を読んでいた時に空海の風信帖に関する記述に遭遇しました。自分のInstagramにも投稿したとおりです。風信帖の字はいずれも書体が異なるのに全てが一流で、一つ一つ異なるのに全体として調和しているという凄まじい書物らしいです。著者によると、「音楽に例えるなら一曲にクラシック、ヒップポップ、ジャズ、演歌を展開しつつ、ぜんぶ一流でなぜか調和しているかんじ。」「狂気じみた作品や。」ということになるそうです。

私の推しの歌姫しおたんのことを言っているように感じて、しおたんはもしかしたら空海かもしれない、なんて思ったものです(笑)

とりあえず、図書館で空海に関する本を何冊か予約しました。それらを読めば、少しは空海についての理解が深まり、konghaiさんのノートの世界も少しわかるかもしれません。それくらい、このアカウントは何かよくわからないけれど人を惹きつける不思議な力があるようなきがします。

 

ちなみに、空海の本名が佐伯真魚(さえき・まお)だってこと、知っていました?良い名前ですね。魚大好き人間の私にとって、空海は特別です。

 

デジタルとアナログと

暑い日が続いたり、台風接近で気圧の変化があったりすると、さすがに私でも疲労感が強まります。歳を取っているせいで、若いころよりも疲れやすくなっています。

 

体の疲れはもちろんですが、脳が疲れていると感じることが増えました。何もやりたくない、意欲が湧かない、気分が落ち込む、動きたくない・・・

 

そういう時にどうするかというと、これといって良い対処法はないのですが、好きなノートに触るだけでもいい、何かちょっと書いてみるだけでいい、それだけで少し落ち着いた気持ちになれるから不思議です。Pinterestなどで他人のノートを眺めるだけでもいい。

 

不思議に落ち着きます。他人のノートの写真には音声がないのでただ眺めるだけの世界だからでしょうか。音声なしの世界でそれを書いた人の考え方や生活が感じとられ、共感が湧き、少し嬉しいような気分になれます。

 

InstagramでフォローしているFrederick Atkinsonは、シェイクスピアをはじめ古典文学に造詣が深く、語り口も面白くて楽しい人なのですが、Substackにも記事を書いています。その中にこれだけデジタル化された世界で人はなぜ紙の本を読むのかというような記事があります。

彼は、やはり人は面白いストーリーを欲しているのだと指摘しています。別に知識を増やそうとか何かをそこから得ようとか、そういうことではなく、純粋にストーリーを読みたい。それが本来の書物の趣旨であり、デジタル化の中でそれがともすると忘れ去られてしまうと言います。

フィクションの苦手な私でも、ノンフィクションを読む時に面白いストーリーを欲していることが多々あります。私が愛読する雑誌New Yorkerの記事にも、事実を明らかにしようとするレポートの中で非常に面白いストーリーを展開しています。どのような場合も、なぜ読むかといえば面白いストーリーを読みたいからなのでしょう。

 

Frederick Atkinsonさんは、本についてノートをとるようですが、そのノートの中身は非常に整然としていて、ところどころイラストも挿入されています。自分は綺麗にノートをとるのが好きなのであるというようなことも言っていて、私とはずいぶん違うなあと感心して眺めています。

私は整然としたノートテイキングはできません。字もそれほど綺麗ではないし、ごったにいろんなことを書くのが好きなのです。考えたことをノートに書くときに、整然と書く余裕はありません。モタモタしているとアイデアがどこかへ行ってしまうような気がするからです。私のMD Codexは、ある程度きちんと書いてある部分と、余白に書き込まれたカオスのような部分の両方があって、なかなか良いと自分では気に入っています。

 

どのような場合でも、特に脳が疲れたなと感じる時はノートに何か書く、あるいは以前書いたものに追加で書き込むのが良いと思っています。

無印のボールペン

無印良品の文具はファンがたくさんいます。みんなMuji 、Mujiといって、ノートやペンやはたまた日用品に至るまで購入品紹介も数多く見かけます。

 

最近、無印の油性ボールペンを買いました。昔、買ったものはあまりインクの出が良くなくて、無印のペンは買わないと思ってきたのですが、今回買ったものは非常に滑らかにペン先が滑って書きやすいです。ジェットストリームにも負けません。

 

なぜこれを買ったかというと、ペンホルダーにうまく合うボールペンがなかなかない中で、何とか収まりそうだからです。最近のボールペンは滑り止めがついているために、私のペンホルダーに通すことが難しくて困っていました。

写真のボールペンのうち、左が今回買ったもの。やはり滑り止めらしきものがあってペンホルダーを通す時に少し引っかかるのですが、何とかOK。右は昔買ったボールペンの本体で、今はゲルインキを入れています。これが一番スムーズに通ってくれます。

 

そうか。これにボールペンのリフィルを入れればよかったのか。まあいいや。左のボールペン、気に入ったので使おうと思います。滑り止めがついていない右のぺんも書き心地はとても良くて、気に入っています。

ちなみに赤いポケットサイズのノートは、Mokeskineの18ヶ月ダイアリーで、別に買っておいたペンホルダーをつけました。

 

無印の油性ボールペン

 

埋め尽くす

ある時YouTubeを見ていたら、Field Notesを使う男性の動画に遭遇しました。ちょっと驚きの動画でした。

アメリカ人男性の中にはField Notesが大好きで、メモ帳として活用している人がたくさんいます。私もポケットサイズのノートをメモ帳として活用しているので、そのような動画は楽しく視聴するのですが、今回見た動画は、Field Notesの各ページをとにかく文字でびっしりと埋め尽くさないと気が済まないというものでした。

少しでも空白があるとそこに何かを書き込んで、とにかくページ全体に余白が全くない状態にすることに全力を注いでいるのです。

 

私はそれを見て、ちょっと気分が悪くなりました。なぜ埋め尽くさなければいけないのか。そんなことをしたら、後から見返したときに重要な箇所も見えづらいし、何か書き足したいことがあってもそのためのスペースはありません。

そんなギチギチの生活を送りたいですか?

現役の頃は、私も忙しくて、とにかくスケジュールもパンパンだし、空いている時間があれば予定を詰め込んだりして、無駄をなくすことが良いことであるかのような錯覚に陥っていました。

効率とか生産性などという言葉が重要な意味を持つと思っていたのです。

でもそうやってギチギチのスケジュール、びっしり書かれた手帳、パンパンに膨れ上がった手帳、満員電車のようにぎゅうぎゅうづめの生活・・・それで良いアイデアは生まれるのか?

身動きの取れない毎日、埋め尽くされた手帳。そこからは柔軟性の欠如や応用の効かない頭が生まれてしまいます。張り詰められた毎日は表面張力が働いているようなもので、ちょっとした衝撃で崩れ去ってしまうのではないか?何の愉しみもなく、ゆとりのない生活から独創性など生まれるはずがありません。

 

その正反対は、余白であり、それを大切にするMD Productの発想であり、MDノートです。今使っているMD ダイアリー2026も、1日1ページのCodexも、余白を意識してノートをとっているので、後から思いついたことを書き足すことができて、その分、思考が促されるような気がします。

何事も、余白やゆとりが大切。それがないぎゅうぎゅうづめの生活は精神を崩壊させるのではないかと思っています。